カコスミ再開とH島  2006年04月11日 pcfx




去年の夏より今年3月末までサイトの更新が停止していた。

このようなサイトを運営していると、色々とやっかいなしがらみに巻き込まれるもので、

また探索中のアクシデントもつきものなのだ。


詳しくは語れないが、カコスミは開設以来、急速に公開物件を拡大していったのだが、

サイト開設時(2004年クリスマス)から探索や情報集めを開始したわけではなく、遡れば

10数年前から活動していた。しかしその情報を写真に残したり、サイト開設をするといった

事を目的とした活動はサイト開設の1ヵ月前からだ。


閲覧者の方から、よく寄せられる言葉に「なんで短期間にこれだけの物件情報を集められる

のか?」という疑問を頂くことがあるが、実際は短期間ではなく、それ以前にかなり長い

情報収集期間があったのだ。また、カコスミとしての活動開始後にも、以前からの情報提供者

の方々から全国の情報が寄せられている。更に、カコスミのYOCHIやTELによる偏執狂的

で魔法的な物件調査の地道な努力によって、また提携サイト様の情報によって等、総合的な

情報源に恵まれているのがその理由だ。


他にも「カコスミは何人のメンバーなのか?」という質問がよく寄せられるが、直接関わって

いるのは3人だけだ。その3人に各々十数人以上の情報提供者がいるが、彼らは直接の

メンバーではない。だからあくまで「カコスミは3人」なのだ。


他サイト様に、「入れない筈の物件に入っているが、どうやって入ったのか」という質問も

あるが、なにも無理矢理入り口を壊して入っているわけではない。一見入り口が閉まっている

ような物件でも、よくよく探せばエントリーポイントがあるものなのだ。カコスミは破壊や盗みは

しないことを徹底している。「たまたま開いている」物件のみ探索の対象としている。






さて、今回九州に大遠征を敢行した。

目的はそう、あの島である。


再開発が近いと噂され、「廃墟」であるうちに行きたいと願っていたが、なにしろ愛知l県と

長崎県では遠すぎ、なかなか実行できないでいた。


ある日、TELが急にH島行きを焦り始めた。とりあえずチョコを与えて落ち着かせたが、

今回はかなり本気のようだ。たまたまpcfxの仕事が暇な時期なため、またたまたまTELの

仕事で九州に用があったのが重なって2人で行く事になった。諸々の都合により7日間の

旅程となるため、忙しいYOCHIはお留守番となった。


愛知を出発し、車で高速をぶっ飛ばして九州に雪崩れ込んだ。TELの仕事と兼ねている

ため、九州全県を一周する形となったが、笑える事に九州の観光地にはほぼ立ち寄らない

というもったいないやら贅沢やらわからない強行軍だった。

立ち寄ったのは博多の中洲だけ。そこでラーメン屋を3軒ハシゴしたのが唯一の観光か。




TELの仕事が週末に終了したため、鹿児島から一気に長崎の果てに移動。長崎市内に

宿泊して翌朝港に向かった。

今回、事前に様々な情報を調査したのだが、上陸の決定的な方法がハッキリわからない

不確定な状態のまま、何日かけてもチャンスを探す覚悟で挑んだ。

ここでは上陸の方法は書けない。ご了承いただきたい。

しかし考えられる全ての事に対応した下準備と装備により、初日にすんなり渡航はできた。

が、我々があまりに完璧な準備をしたのが裏目にでて、この日、「渡航はできたが上陸は

できない」という不可思議な状態となってしまった。

この日、たまたま一緒に渡航する事になった青年がいた。彼も我々と同じような下準備で

臨んだのだが、やはり同じように「渡航は出来たが上陸はできない」ハメになった。


翌日、彼と共にリベンジする予定だったのだが、彼は何かしらの都合により同行することは

なかった。



2日目、前日の反省を生かしてリベンジ。この日、来るはずだった前日の青年の姿はなかった

が、代わりにキュート且つプリティな女性が単独で挑もうとしていた為、同行する事になった。

運よく渡航できた我々カコスミは、たった2時間半という条件下での上陸だった為、素早く

撮影に入った。効率を上げる為、TELとpcfxは別行動になり、TELは島中心部を、pcfxは

外周に手分けして撮影を行った。本当は同行の女性と一緒に回りたかったのだが、我々も

一発勝負に賭けていたので申しわけないが別行動となった。この場を借りてお詫びします。


去年の台風により、他H島関連サイト様の写真にあったような残留物は、ほぼ全て波に

さらわれて消え去っていた。H島の建築物は材木とコンクリとレンガでできているのだが、

やはり材木で作られたものは多くが台風と波によって壊滅していた。コンクリの地面も

大震災後のように捲れ上がり、歩くのが困難なガレキの山になっていた。


しかし、やはり本物のH島の迫力は圧倒的であり、この空間を生きた生活の場としていた

元住民の方々の記憶に嫉妬を覚えるほどの特殊空間だった。

我々は廃墟探索を現在の所行動の指標としているが、H島はその規模や歴史が重すぎ、

「廃墟」というよりも「遺跡」だ。今現在、愛知県の自宅にてこれを書いているが、H島での

光景や出来事はまるで夢幻であり、他サイト様による、現役時のH島の写真をあらためて

見ると、自分が行ってきたのはどこだったのか、いつだったのか、心地よい混乱に酔う事が

できる。

この島を訪れる者は、きっとこの島の早期保存を願ってやまないだろう。この島で生活した

方々は、この島での思い出を荒らされたくないだろう。




我々カコスミは、唯唯、諸行無常を感じるのみである。






*H島は現在立ち入る事はできません。島の中は非常に危険です。島への渡航も危険です。


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