物件名 H島(通称:G島):TELルートVer
所在地
探索日 2006年4月上旬
廃墟日 1970年代
分類・規模 大規模・島全体・炭鉱
*渡航情報に関しては一切お答えできません。ご了承ください。
今回のH島は、時間制限からTELとpcfxは二手に分かれて撮影を強行することになった。
pcfxは島の外周と全体像を中心に、TELは島内部を中心とした。
また、pcfxは無機質で資料的な撮影を旨としているため、サイトとして味わいがなくなる
ので、TELは作品としての撮影模索中である。
そのような経緯で撮影者の区別を明確にした方がよいとのpcfxの判断から、撮影者別
に掲載する事にした。これはその第一段である。
尚、今回はTELの暗い写真のみ、pcfxが独断でガンマを修正している。しかしその内に
その修正はやめるつもりだ。


蜃気楼のように浮かび上がるH島。



荒い海はすぐに機嫌を損ね上陸を阻む。



1日目は微妙な所に辿り着いてしまい、上陸は目の前だというのに断念。



微妙な大きさの穴が我々を嘲笑う。




外観



つもりに積もったガレキ。廃材の海。ガレキ地層。



こうしてみると、まるでミニチュアを近接撮影した特撮のようだが、恐ろしい事に実物大。



まるで市街戦の跡。戦争とは、自然災害の人為的再現かもしれない。



ミニチュアに見えるが、実際に行って見ると壮大なスケールだ。



ガタガタになっている。いつ落ちてきてもおかしくない。



小中学校と、屋上に幼稚園があった社宅。わずかな家賃で住むことが出来たらしい。



その65号棟とH島病院。島内唯一の広場である小中学校のグラウンドから。



資材倉庫。壁材とは原理的に剥がれるものである証左。



屋根は吹っ飛んでしまった。こうして見ている間にも屋根材が風で落ちてくる。



学校の教員は「ちどり荘」と呼ばれる教員住宅に住んでいた。恐ろしい事に海が目前。



しかし、ちどり荘は病院のすぐ隣。安心の医療体制。



しかし病院も海のすぐそばに。



テクスチャを貼れば、今でも人が住んでそうな一角。密集の中に生活感。



なんだかカッコイイ階段を持つ住宅。しかし階段の幅は人一人分。



地獄段と呼ばれた階段。なんとなく近代的なデザインの一角。



かつてこの谷間に子供たちの笑い声が響いたのだろう。





散策



あるところに、愛知漂流が落ちていた。ナツカシス。



住宅地下にあった機械室。地下はまだ保存されているほうだ。



密集の中の間隙。プライバシー最前線。隣や向いの声は隠せない。



病院は意外にゆとりある幅の廊下があるなど、余裕の設計だった。



手術室もあった。炭鉱なので事故もあったろう。



レントゲンフィルム。



元診察室にはステキな椅子が残る。



インテリアにはない味が、この固定椅子の存在を不動のものにした。



省スペースの為、便器は全て斜めに取りつけられた。通常の部屋にはトイレはついてない。



ご近所さんがトイレで顔を合わせる毎日。島がまるごと寮みたいなものか。



学舎の廊下はそれに相応しい色彩を保っている。



この島で育った子供は、残したオモチャの事を覚えているだろうか。



65号棟には公園が残っている。コの字型の空間に子供たちのかん高い声が響いた。



テクスチャを貼る前のポリゴンのようなコンクリだけのドクロ。



パチンとつける電球は薄暗く、外より暗かったが、それでも温かな家庭を照らした。



カラリと窓を開ければ、空は見えないけれど仲間が見えた。



新参者は低層へ、古参や高級職は上階へ、がこの島の掟。見下ろす立場への階段。



この島の電化は日本で最も早かった。それだけ豊かな収入があった。



廊下に面するのはドアではなく横開き。日本の伝統は横開きの人間関係。



生活の跡は、今の所風に負けずに立っている。醤油にみりん。母よ貴方は強かった。



もしこの島が現在でも現役だったとしたら、超高層ビルが密集しただろうか。



そうしたら、トイレは各戸の標準施設になったろうか?



小中学校には、タイル画が残る。そしてその下には・・・・・・・



やはりラストには、この声を載せたかった。岩礁の姿に戻るまで。フォーエバーH島。




廃墟には、大雑把に、元住人・管理者・探索者・自然風化の4つの関係がつきまとう。
H島も同じで、元住人の方々の郷愁、管轄の市町村の管理、上陸探索者、そして自然に
よる崩壊が絡んでドラマを作っている。

H島の崩壊は、探索者の人為的破壊もあったかもしれないが、それを圧倒するスケールで
自然が破壊しているのが現状だ。自然状態の元のH島は、波に侵食されるに任せる岩島
だったのだ。

元住民の方々は、この島を荒らされたくないとお思いだろうが、最も高い位置にある神社
にまで波を被る台風の威力は、在住の時から変わってないこともご存じだろう。
台風の時は最下層海抜域の1〜2階の住民は、上階に避難した事も記憶にあるだろう。
外洋に晒されるこの島を守るには、まずなにより、島の周りに物凄い防波堤を建築しな
ければならない。いっそドームで覆う必要さえある。

その上で、この島にある建築物は全て老朽化しているので再建築しなければならない。
そして、そこまでして資金を注ぎ込んだら、何らかの商業的利用は避けられないだろう。

しかし、そうなったら、もうこの島にどれだけの郷愁と価値があるのだろうか。昭和30年代
ミュージアムと同列。そういう島にしたいのだろうか。答えは否だろう。

諸行無常の響きを、万人が、全ての廃墟から、感じるのみである。

写真:TEL   コメント:pcfx

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