蜃気楼のように浮かび上がるH島。
荒い海はすぐに機嫌を損ね上陸を阻む。
1日目は微妙な所に辿り着いてしまい、上陸は目の前だというのに断念。
微妙な大きさの穴が我々を嘲笑う。
外観
つもりに積もったガレキ。廃材の海。ガレキ地層。
こうしてみると、まるでミニチュアを近接撮影した特撮のようだが、恐ろしい事に実物大。
まるで市街戦の跡。戦争とは、自然災害の人為的再現かもしれない。
ミニチュアに見えるが、実際に行って見ると壮大なスケールだ。
ガタガタになっている。いつ落ちてきてもおかしくない。
小中学校と、屋上に幼稚園があった社宅。わずかな家賃で住むことが出来たらしい。
その65号棟とH島病院。島内唯一の広場である小中学校のグラウンドから。
資材倉庫。壁材とは原理的に剥がれるものである証左。
屋根は吹っ飛んでしまった。こうして見ている間にも屋根材が風で落ちてくる。
学校の教員は「ちどり荘」と呼ばれる教員住宅に住んでいた。恐ろしい事に海が目前。
しかし、ちどり荘は病院のすぐ隣。安心の医療体制。
しかし病院も海のすぐそばに。
テクスチャを貼れば、今でも人が住んでそうな一角。密集の中に生活感。
なんだかカッコイイ階段を持つ住宅。しかし階段の幅は人一人分。
地獄段と呼ばれた階段。なんとなく近代的なデザインの一角。
かつてこの谷間に子供たちの笑い声が響いたのだろう。
散策
あるところに、愛知漂流が落ちていた。ナツカシス。
住宅地下にあった機械室。地下はまだ保存されているほうだ。
密集の中の間隙。プライバシー最前線。隣や向いの声は隠せない。
病院は意外にゆとりある幅の廊下があるなど、余裕の設計だった。
手術室もあった。炭鉱なので事故もあったろう。
レントゲンフィルム。
元診察室にはステキな椅子が残る。
インテリアにはない味が、この固定椅子の存在を不動のものにした。
省スペースの為、便器は全て斜めに取りつけられた。通常の部屋にはトイレはついてない。
ご近所さんがトイレで顔を合わせる毎日。島がまるごと寮みたいなものか。
学舎の廊下はそれに相応しい色彩を保っている。
この島で育った子供は、残したオモチャの事を覚えているだろうか。
65号棟には公園が残っている。コの字型の空間に子供たちのかん高い声が響いた。
テクスチャを貼る前のポリゴンのようなコンクリだけのドクロ。
パチンとつける電球は薄暗く、外より暗かったが、それでも温かな家庭を照らした。
カラリと窓を開ければ、空は見えないけれど仲間が見えた。
新参者は低層へ、古参や高級職は上階へ、がこの島の掟。見下ろす立場への階段。
この島の電化は日本で最も早かった。それだけ豊かな収入があった。
廊下に面するのはドアではなく横開き。日本の伝統は横開きの人間関係。
生活の跡は、今の所風に負けずに立っている。醤油にみりん。母よ貴方は強かった。
もしこの島が現在でも現役だったとしたら、超高層ビルが密集しただろうか。
そうしたら、トイレは各戸の標準施設になったろうか?
小中学校には、タイル画が残る。そしてその下には・・・・・・・
やはりラストには、この声を載せたかった。岩礁の姿に戻るまで。フォーエバーH島。
写真:TEL コメント:pcfx
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